1849年12月25日(嘉永2年11月11日)が誕生日。
日本の武士(長府藩士)、軍人。陸軍大将従二位・勲一等・功一級・伯爵。第10代学習院院長。贈正二位(1916年)。家紋は「市松四つ目結い」。「乃木大将」、「乃木将軍」などの呼称で呼ばれることも多い。
東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ「聖将」と呼ばれた。
若い頃は放蕩の限りを尽くしたが、ドイツ帝国留学において質実剛健なプロイセン軍人に影響を受け、帰国後は質素な古武士のような生活を旨とするようになったという。当時にしては上背があり、頭部が小振りで、足が長く長靴の軍装が映えた。
乃木は他の将官と違い省部経験・政治経験がほとんどなく、軍人としての生涯の多くを司令官として過ごした。また、明治天皇の後を追った乃木夫妻の殉死は、当時の日本国民に多大な衝撃を与えた。
京都府、山口県、栃木県、東京都、北海道など、複数の地に乃木を祀った乃木神社がある。
幾つかの文献で元帥となっているが、乃木が元帥だった事実は無い(元帥の称号を賜る話はあったが、乃木本人が固辞したため)。
『日本の暦』より
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