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2010年12月22日水曜日

今日は何の日? 伊藤博文、初代内閣総理大臣就任

明治18年(1885年)12月の内閣制度移行に際し、誰が初代内閣総理大臣になるかが注目された。衆目の一致するところは、太政大臣として名目上ながらも政府のトップに立っていた三條實美と、大久保利通の死後事実上の宰相として明治政府を切り回し内閣制度を作り上げた伊藤博文だった。しかし三條は、藤原北家閑院流の嫡流で清華家の一つ三條家の生まれという高貴な身分、公爵である。一方伊藤といえば、貧農の出で武士になったのも維新の直前という低い身分の出身、お手盛りで伯爵になってはいるものの、その差は歴然としていた。太政大臣に代わる初代内閣総理大臣を決める宮中での会議では、誰もが口をつぐんでいる中、伊藤の盟友であった井上馨は、「これからの総理は赤電報 (外国電報) が読めなくてはだめだ」と口火を切り、これに山縣有朋が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成、これには三條を支持する保守派の参議も返す言葉がなくなった。つまり英語力が決め手となって伊藤は初代内閣総理大臣となったのである。

明治19年(1886年)2月には各省官制を制定し、3月には帝国大学(今の東京大学)を創設し、翌年3月には国家学会が創設されるが、これを支援した。

明治21年(1888年)4月28日、枢密院開設の際に初代枢密院議長となるために首相を辞任。

4度にわたって内閣総理大臣を務めることになる。

第1次伊藤内閣は、参議の伊藤博文が初代内閣総理大臣に任命され、1885年(明治18年)12月22日から1888年(明治21年)4月30日まで続いた日本の内閣。在任期間は、861日間。

太政官達第69号により太政官制を廃止し、代わりに創設された内閣制に基づいて成立した日本最初の内閣である。内閣制の発足と同時にその運営について規定した内閣職権が制定された。


『日本の暦』より

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