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2010年9月23日木曜日

今日は何の日? 秋分の日

今日は秋分の日です。


この日は皇霊殿で「秋季皇霊祭」、神殿で「秋季神殿祭」が行われる日ですが、私も含めてこれらの宮中祭祀のことはあまり知らない人が多いのではないかと思い、少し調べてまとめてみました。


宮中祭祀の起源は、『日本書記』に記されている「神勅(しんちょく)」に求めることができます。
簡単にまとめるとこんな感じでしょうか?


1.天孫降臨(てんそんこうりん)の際の天照大神(あまてらすおおみかみ)の言葉


「此の宝鏡を視まさむこと、常に吾を視るがごとくすべし。ともに床(みあらか)を同(おなじ)くし殿を共にして、齋鏡(いはひのかがみ)とすべし」


これは「この宝鏡を私だと思って宮中に祀るように」という意味です。
ちなみに宝鏡は崇神天皇の御代に天照大神の神霊は宮中を離れ、鏡を奉じた倭姫命(やまとひめのみこと)によって伊勢へご鎮座されることになります。


2.高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の言葉
「天津神離(あまつひもろぎ)および天津磐境(あまついはさか)を起し樹てて、まさに吾孫(すめみま)の為に斎(いわ)ひ奉(まつ)らむ」
これは、「神の御座所としてお鎮まりになるところを立てて天孫のために祀ろう」とう意味で、神宮・神社の起源を示しています。
3.天照大神が宝鏡を授けられたのに続いておっしゃった言葉
「高天原(たかまのはら)に所御(きこしめす)齋庭(ゆには)の穂(いなほ)を以(もち)て、亦(また)吾(あが)児(みこ)に御(まか)せまつるべし」
これは、食物として地上で栽培するようにとの趣旨で、天照大神が天孫に種籾(たねもみ)を授けられたもので、宮中祭祀第一の祭典である大嘗祭(だいじょうさい)、新嘗祭(にいなめさい)の起源が示されています。
祭祀は、大宝元年(701)に制定された大宝律令から延長5年(927)制定の延喜式にいたり、現在のような体系的な祭祀の基礎が完成されました。律令時代には祈年(きねん)祭、月次(つきなみ)祭、新嘗祭が重視され、また大嘗祭、伊勢の神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)も最大の祭儀として、成立しています。
宮中祭祀の基本姿勢は、13世紀前半の順徳天皇(第84代)が著された『禁秘抄』の冒頭に書かれています。
「一、賢所(かしこどころ)。凡(およ)そ禁中の作法、神事を先にし、他事を後にす。旦暮あけくれ敬神之叡慮解怠(えいりょけたい)無く白地(あから)さまにも神宮竝(なら)びに内侍所(ないしどころ)の方を以て、御跡(みあと)と為(な)さず」という一文に尽きています。
この意味は「宮中の作法はまず第一に神事、その後に他のことがあって、朝夕に神を敬い、かりそめにも伊勢の神宮、また賢所に足を向けて休むようなことがあってはならない」というものです。
現在も行われている祭祀は、宮中祭祀は天皇自ら祭典を行われ、「お告文(つげぶみ=祝詞)」を奏上する大祭、掌典長が祭典を行い、陛下は拝礼される小祭、その他の祭儀の三つにわけられます。
大祭
元始祭(げんしさい=1月3日)
昭和天皇祭(先帝祭=1月7日)
春季皇霊祭・春季神殿祭(春分の日)
神武天皇祭(4月3日)
秋季皇霊祭・秋季神殿祭(秋分の日)
神嘗祭(かんなめさい=10月17日)
新嘗祭(11月23日)
新嘗祭は『古事記』の中にすでにその伝承を示す歌が見いだせる、大祭の中で唯一古代から受け継がれた重要な宮中祭祀です。
小祭
歳旦祭(さいたんさい=1月1日)
孝明天皇例祭(1月30日)
祈年祭(2月17日)
香淳皇后例祭(6月16日)
明治天皇例祭(7月30日)
賢所御神楽(12月上旬)
天長祭(12月23日)
大正天皇例祭(12月25日)
祈年祭は、農作業の開始を祝い、豊作を祈るお祭りとして、新嘗祭と対になっています。
その他
四方拝(1月1日)
奏事始(そうじはじめ=1月4日)
鎮魂祭(11月2日)
節折・大祓(よおり・おおはらえ=6月30日と12月31日)
除夜祭(12月31日)
毎朝御代拝、旬祭(毎月1日、11日、21日)
歴代天皇式年祭
これらは恒例の祭典ですが、それ以外にも、ご結婚、ご誕生などに関して、臨時の祭典が行われることもあります。このうち、四方拝は元日の未明、天皇陛下が伊勢の神宮や四方の神々などをご遥拝し、その年の五穀豊穣と国家、国民の安寧を祈られます。天皇のみが行う、代行できない重大な儀式です。

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