日本陸海軍による航空特攻は1944年のレイテ沖海戦での海軍・久納好孚中尉の出撃からはじまり(通史では同年10月25日の海軍神風特別攻撃隊敷島隊・関行男による特攻が最初とされている)、敗戦の日の8月15日までの全日数299日、内147日間にわたり実施され、戦死者数は海軍2500人前後、陸軍1500人前後、計4000人前後とされる。
この日の出撃記録は以下のとおりである。
10月21日(マバラカット)
敷島隊4名(直掩4機あり)、初出撃
指揮官、海兵70期
甲10期2名
丙15期1名志願者追加
(その他、エンジン不調発進中止・・・甲10期1名)
朝日隊3名(直掩2機あり)、同時に初出撃(合同作戦)
甲10期3名
予定地点に至るが天候不良のため敵発見できずルソン島南部レガスピー不時着、翌22日マバラカット全機帰投
ただし敷島隊直掩4機のうち2機は報告のため21日中にマバラカット帰投
朝日隊1名(甲10期)、22日若桜隊に編入(さらにその後、26日葉桜隊に編入)
10月21日(セブ)
大和隊<2名>、初出撃
指揮官(久納好孚・中尉、予学11期)、特攻死(セブ90度185浬)
悪天候を冒し、体当たりを決行したと認定
列機1機(甲10期)は指揮官と分離帰投(22日若桜隊編入→25日特攻死)
直掩1機(甲10期)も同様に指揮官と分離帰投、戦果の確認なし
(→ 25日大和隊第一次攻撃隊指揮官、特攻死)
『日本の暦』より
日本の暦は実際にあった出来事を中心に、学校の歴史の授業ではあまり教わらないことを集めて編集しています。
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