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2010年11月15日月曜日

今日は何の日? 横田めぐみさんが北朝鮮により拉致される

昭和52(1977)年夕刻、新潟市の中学校から帰宅する途中で拉致された。この事件は平成8年10月号『現代コリア』に朝日放送の石高健次氏が寄稿した論文で言及されていた「中学校一年生の少女拉致」が端緒となり、同年末その少女が横田めぐみさんであることが判明、翌平成9(1997)年1月23日西村真悟衆議院議員(現自由)が政府に質問書を提出、さらに2月3日には予算委員会で質問し、橋本総理も調査中であると答弁した。
政府は平成9年5月1日の参議院決算委員会の吉川芳男議員(自民)の質問への答弁を通じ北朝鮮による拉致事件として認定したことを明らかにした。アベック拉致と同様無線傍受などの情報によって特定したものと考えられる。この事件は当初工作員が海岸に来ためぐみさんに見つかり、工作活動が発覚するのを恐れて拉致したと言われていた(当初この情報をもたらした亡命工作員及び亡命工作員安明進氏が聞いた話)が、その後現場の状況の調査などから、遭遇ではなく自宅近くで待ち伏せされて(個人名を特定しない、「若い女性」などの指示による)拉致されたものと思われる。安明進氏の情報は北朝鮮の工作員養成機関「金正日政治軍事大学校」の教官から伝えられたものだが、安氏によれば、「想像だが暗くて年齢が分からず、拉致してみたら子供だったので、『見つけられたので拉致した』ということにしたのではないか」とのことである。 警察庁が拉致事件と認定

1970年代から1980年代にかけ、日本において不自然な形で行方不明となる者が出ていた。警察による捜査や、亡命北朝鮮工作員の証言などから北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった。1991年以来、日本政府は北朝鮮に対し拉致問題を提起していたが、北朝鮮側は否定し続けた。
2002年9月17日、内閣総理大臣小泉純一郎(当時)らが訪朝し、日朝首脳会談を行った際に、北朝鮮の最高指導者(国防委員長であり、朝鮮労働党の総書記)である金正日は、北朝鮮の一部の特殊機関の者たちが日本人を拉致した事実を認め、口頭で謝罪した。これにより、5人の拉致被害者が日本に一時帰国し、間もなく本人たちの意思で日本に残ることとなった。
2004年5月22日、小泉の2度目の平壌訪問により、先に帰国していた拉致被害者の夫や子供が日本への帰国を果たした。

北朝鮮は日本政府が認定した拉致被害者17人のうち残り12人について「死亡」あるいは「入境せず」として、「拉致問題は解決済み」と説明し、その後の協力を拒んでいるが、日本政府は「拉致問題の解決なしに国交正常化はありえない」との方針により、解決を目指して交渉を続けている

『日本の暦』より

拉致の疑いがあることが暫くの間、知らされていなかったのに驚いたのを思い出します。
日本は国防も外国に頼り、領土の守りも不十分で、拉致被害者もなかなか取り戻せません。
拉致被害者かもしれない特定失踪者に関しては、政府は本腰を入れて調査していないとも聞きます。

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