日本が日本であるために Headline

2010年11月10日水曜日

今日は何の日? 第二回憲法調査会

1945年(昭和20年)10月4日、連合国最高司令官マッカ-サ-は、東久邇内閣の近衛文麿国務大臣に、憲法改正を示唆した。近衛は、東久邇内閣退陣後、10月11日に内大臣府御用掛を命ぜられ、同じく御用掛となった佐々木惣一元京都帝国大学教授とともに、宮中の機関である内大臣府の仕事として憲法改正案の準備に着手する。10月11日に幣原喜重郎内閣総理大臣と会見したマッカ-サ-は、憲法の自由主義化について触れ人権確保の五大改革指令を出した。

松本委員長は、10月27日に行われた第1回総会で、調査委員会の使命について「憲法改正案を直ちに作成するということでは無く」と述べていたが11月10日の第2回総会では「日本を廻る内外の情勢は誠に切実である。政治的に何事も無しには済まし得ない様に思われる」、「憲法改正問題が極めて近き将来に於て具体化せらるることも当然予想しなければならぬ」と述べ、委員会は調査・研究から改正案の提示へ向けて方向転換していくことになった。

『日本の暦』より

「マッカ-サ-は、憲法の自由主義化について触れ人権確保の五大改革指令を出した」とあるように、我が国が本来自主的に制定する憲法に対して、占領軍が介入していたことを示す史実です。
このような行為は当時でも違法だったこともありますが、ポツダム宣言にも憲法の改正を求める項目はなく、まったく出鱈目なことが行われたということですね。
この出鱈目な状態を容認しているのが今の日本です。
本来であれば、主権回復した時点で破棄して、自主的な憲法の改正を行うべきだったのでしょう。
日本国憲法のマッカーサー試案なるものは、元々はフィリピン用に作られたものらしいです。国柄に合わない物ができるのも必然でしょうか。

0 件のコメント: