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2010年10月7日木曜日

今日は何の日? ノーベル賞の受賞者

ノーベル賞の受賞シーズンです。

10月7日に受賞した日本人を紹介します。

南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、1921年1月18日 - )は、理論物理学者。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー。専門は素粒子理論。理学博士(東京大学 1952年)。福井県福井市出身。シカゴ在住。
日系アメリカ人(一世)の理論物理学者である。1952年に渡米。1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れの分野において先駆的な研究を行ったほか、弦理論の創始者の一人としても知られる。これらの業績により2008年にノーベル物理学賞を受賞した。
ただし文部科学省は、今年のノーベル物理学賞の受賞が決まった米国籍の南部陽一郎氏を科学技術白書などの公式文書では、米国の受賞者として集計することを決めた。これによって、日本国籍のノーベル賞受賞者数を15人とした。
同省は、これまで同白書などで、ノーベル賞受賞者の国別、分野別受賞者数を集計しているが、受賞時の国籍をもとにカウントしており、米国籍の南部氏の場合もこの基準に従った。




小林 誠(こばやし まこと、1944年4月7日 - )は、日本の理論物理学者。素粒子理論を専門分野とし、小林の名が付けられた「CKM行列(Cabibbo-Kobayashi-Maskawa matrix)」や「小林・益川理論」で知られる。
京都大学や高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)にて理論物理学の研究を続け、その業績により2001年に文化功労者に選ばれる。2008年には益川敏英、南部陽一郎と共にノーベル物理学賞を受賞した。


益川 敏英(ますかわ としひで、1940年2月7日 - )は、日本の理論物理学者。専門は素粒子理論[1]。名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長・特別教授、京都大学名誉教授、京都産業大学益川塾塾頭。
2008年、「小林・益川理論」による物理学への貢献でノーベル物理学賞を受賞。


佐藤 榮作(さとう えいさく、1901年(明治34年)3月27日 - 1975年(昭和50年)6月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。
1974年(昭和49年)非核三原則の提唱により ノーベル平和賞受賞。
この受賞には国連大使だった加瀬俊一のロビー活動が寄与したといわれており、佐藤も日記の中で加瀬への謝意を表している。しかし、平和賞を選考するノルウェーのノーベル賞委員会は、2001年に刊行した記念誌『ノーベル賞 平和への100年』の中で、「佐藤氏はベトナム戦争で米政策を全面的に支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。後に公開された米公文書によると、佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスだと言っていた」と記し、受賞理由と実際の政治姿勢とのギャップを指摘した。この記念誌はノルウェーの歴史家3名による共同執筆で、同年8月の出版記念会見の際にその一人のオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤り」と当時の選考を強く批判し、「佐藤氏は原則的に核武装に反対でなかった」と述べたという。


この報道に対して次男の佐藤信二は「受賞当時は一部から抗議を受けたが、それは誤解で父は真の平和主義者だった。非核三原則を打ち出したのは佐藤内閣であり、受賞はその点を評価された。父は受賞した時「佐藤個人ではなく、国がもらったものだ」と語っている」とコメントした。



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