日本が日本であるために Headline

2010年9月22日水曜日

ラジオコードの話

『日本の暦』は学校の授業で教わることの少ない事柄を集めているので、集めた歴史上の出来事は日露戦争以降の戦争に関わることが多くなっています。

米国占領軍は日本を戦争ができない国にするため、2度と歯向かってこないようにするため、あらゆる手段を講じて日本を封じ込める政策を展開していきます。
その一環が「ラジオコード指令」です。
1945年(昭和20年)9月22日に、連合国に対する批判を封じ込めるため、連合国に対する批判や動静に関する報道が禁止されました。
日本人には言論の自由がなかったんですね。

ちなみに、よく「国際連合(国連)」と表現されていますが、国連の正式名称はUnited Nations(連合国)です。言葉一つで印象が随分と違います。
国連という呼称を用いると、あたかも国際的な中立機関のような印象を受けますが、もともとは日独伊の枢軸国と戦うための組織で、日本は敵国であるという敵国条項(国連憲章第53、107条)が定められています。
1995年の国連総会でこれらの条項を削除する決議案は賛成多数で可決されていますが、批准されていないために未だに残っている条項です。
敵国条項では、連合国の敵国であった日本などの国が再び侵略行為(と見なされる)を行った場合は、他の国は安保理の承認なしに武力行使ができると規定しています。
ポツダム宣言を受諾し、日本人に主権のない中で所謂「日本国憲法」が制定され、サンフランシスコ講和条約により日本は主権を回復しました。この所謂「日本国憲法」の9条には「一切の交戦権を認めない」と書かれています。


交戦権というものの中には宣戦布告し戦争を開始することに始まって、講和によって戦争を集結するまでの一切の権利が含まれていると解釈できます。
憲法制定からサンフランシスコ講和条約の締結という時間軸を考えたときに、所謂「日本国憲法」には講和条約を締結する力はなかったと考えることもでき、ここに大きな矛盾を感じないわけにはいきません。


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